浄土寺の家
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浄土寺の家

東棟西側外観. イギリス製のレンガがさまざまな表情を見せている.

浄土寺の家

中庭. 2棟がブリッジで結ばれている.

浄土寺の家

 

永田祐三

浄土寺の家

住宅の設計というものは,他の建築よりもたいへん難しい面の多い仕事であると私には思えます. 絵画でいうならば,ある人物の肖像画を描くようなものだと考えていただければよいでしょう. ただこの場合,単なる似顔絵であってはなりません. その人物の内面を深く捉えなくてはならないのです. 社会的な背景とか,文化的な背景とか,物事の考え方とか,さまざまなことを知らなければなりません. このように十分理解したつもりで描き上げた肖像画も,本人が好まなければよい結果とはいえないでしょう. しかしこのような結果になるのは,その肖像画を描いているのがこの私だからなのです. その肖像画の中に私自身があまりにもたくさん入り込んでいるのです.いかにそれを少なくしようとしても,一見少なくなっているようでも,それは不可能に近いのです.そこで,このようなことができるだけ起こらないように私が心がけていることに関してお話をします.
設計の依頼を受けますと,当然のことですが最初に敷地を見学にまいります. 京都の東山銀閣寺山の麓・浄土寺の高台,白川分流と銀閣寺疎水に挟まれた高さ20mの高台が敷地です. この場合,建築主は同行しません. 私と所員だけです. 私は周りの環境も含め高台からの見晴らしとか,敷地の外からこの高台がどのように見えるかとか,風,太陽,住民,朝,昼,夜,建築に関わるたくさんの事柄を調べます. そのために多くの時間を必要とすることがあります.
それから建築主の望みと何の関わりもなく,私はこの敷地に何を建てればよいのかを考えはじめるのです. たとえば京都のこの風土になじむ静かなたたずまいの実現,そしてこの自然を今以上の自然へと再生すること,隣の庭の美しい楓をこの敷地へと導入させて自然の連続の実現,等々,考えてみればごく当たり前のことを基に,あたかも自分の住居を考えているかのような気持ちでその住居のすがた,かたちを想像してみるのです. そのような経過を経てから建築主と話し合いに入るのです.
私の話し合いには設計図というものはありません. ただ話し合うのです. その場合私は,私のやりたくない事柄に関してずいぶん話をします. そしてできそうにもない建築の夢を話し合います. そのような話し合いを幾度となく繰り返すのです. 

本来相手は建築に関して素人ですが,次第に私と同じようなことを話し出すようになります. このような状態になりますと,ほぽ私としては成功なのです.まるで私の病原菌のウイルスに相手が感染した状態です.
ここに至るまでにたいへん時間がかかるため,建築主はいつになれば設計図を見せてもらえるのかといって怒り出す場合があります. しかし慌てないことです. 私たちは思想を妊み建築を産み落とすのです. 建築主と私は同じ思想を妊み共に この建築を育てていくことになります.
この山下邸の計画案がほぽまとまりつつあるとき,ある事件がもち上がりました. 山下氏の妻が病に倒れ,この住宅の完成を妻に見せてやることができるだろうかといって嘆くのです. これにはたいへん驚きました.私としては今後の予定を最大限の努力によって短くせねばなりません. 建築というものは時として早産せねばならないものです.
そして設計者というものはいつも,あ る時点であきらめなければならない宿命にあります.建築が完成するすべての過程は,あきらめの繰り返しであるといっても過言ではありません. それでも挫けずに進まなければなりません. この場合,幸運にも山下氏の妻は病から回復し,1992年の暮れに建物は無事完成しました.私は心からほっとしたことを思い出します.
しかし建築はこれで終わったわけではありません. 私は完成後たびたびこの住宅を訪れ,時には泊まることがあります. それはそこにどのような誤りがあったのか,また,私はこの住宅で何をしようとしていたのかを反鋼して考えるためです.そのたびごとに,私はその住宅の住まい手側の意見を聞くように努めているのです. そして実現可能な範囲で改修を試みるのです. そろそろその時期にきています.
ある朝,私はこの家で目を覚まし,私の寝室から庭の楓を透かして東山から比叡山を眺め,洗面をすますとブリッジを渡って玄関ホールに下り,静かにピアノ即興曲を奏でると庭では紀)科犬が空に向かって大きなあくびをする,という具合です. 私はそのようなとき,この家が大昔からこの場所にこのようなたたずまいで存在していたような気がして,ある程度私の想いが実現できたと考えるのです. 今年の五山の送り火はこの家の丸い居間から,この家の家族や友人をたくさん集めて楽しもうと考えています.