このゲストハウスは京都東山の麓,通称,哲学の道に面して建設されました。 レセプション棟と和室棟と宿泊棟から構成されており,楕円形をしたレセプション室が哲学の道に面しています。 知っての通り哲学の道は桜の名所です。 かつて近所に住んでいました画家,橋本関雪の夫人が苗木をこの土手に,こつこつと植えていったそうです。
その桜の道を越えた向こうに吉田山を望み,四季の変化を眺望できる位置にレセプション室を置き,和室棟は南庭と北庭に挟まれて静かなたたずまいの中に埋め込まれて,宿泊棟は東山と比叡山を望み,東側の道路を挟んで新しい町並みを構成しています。
このようにして,それぞれの空間がごくあたりまえの望みを実現できるように継ぎ合わされて全体をかたちづくっています。
少し苦労をしましたのは,それぞれの空間がまちまちの表情をしていますので,より良い関係で,すなわち緊張感を失うことなく継ぎ合わさってくれればと心をくだきました。 しかしながら緊張感を失わないようにと思っていても,どのような関係がより緊張感を増しながらかかわってくれるのかを見つけ出すのは大変な作業です。 また,私自身現寸図をスケッチするのが大変楽しみなものですから,あまり長考をしすぎて竣工が2 カ月ものびてしまい,たびたび建築主にお叱りを受けたのですが,理解をいただき,ようやく完成することのできた建築です。 考えてみれば建築というものが大衆性をもつのは当然のことですが,できるだけ時代の動向に足をすくわれないように心して設計をした私たちの事務所の初めての作品であります。 (永田祐三)
近年の合理主義一辺倒の中で,手作業などある訳がないと信じ,この数年来,机上で数字合わせに翻弄されることに慣れ,すでに構造を楽しむなどないものだと思っておりました。
今回のプロジェクトに参加しましたのが,60年4月中旬からでした。
イメージの世界にいる建築家に,数字合わせなど,到底通用するはずはありません。デザイナーの豊富な創造力で日々変化していく計画案を前にして手も足も出ないままに,移り変わる計画を,下から観たり,前面の角度をかえてみたり,隅っこからディテールをのぞいてみたりという頭の体操をしているうちに,徐々にデザイナーの意図する造形を私なりに構築していく思考も生まれ,想像の中で構造が見え隠れする日々を楽しむうちに構造設計が出来上ってしまった次第です。
そういう訳で建築の全貌が見えているというわけではありません。 この過程は,その後,現場に移行してからも継続しており,現場サイドでも同じような状況の中で模索しているという具合でした。
ところが,計画者の創造物となり得る建築のほうでは,自ら,生成のためのボルテージの高い場を形成し,個々の職種の人間の知恵を引き出し,演出,そして集積して,自らを形成していったのではないかと考えざるを得ないような,プロジェクトであったことに,今更ながら気付いたという思いがあります。
構造設計をすることにも,創造の過程があり得たことに,ただいま,自己満足をおぽえている次第です。 (川崎福則)