水脈の会会報 「水脈 mio」掲載
日本の小さな夏祭り
私は、足早に提灯をぶら下げて進む子どもたちの行列の後を、追うようにしてついて行きました。街道の家々の軒先には、馴染みのない紋様の提灯がぶら下がっています。海に面した舟家は妻入が主で、その屋根には祈りを込めた色々なデザインの楽しい鬼瓦がのっています。神社の階段を行列について上り詰めてふと振り返ると、すっかり日も沈んで、静かな伊根の入江の舟家のあちらこちらに提灯がともり、水面にその明かりが映り、ゆらりゆらりと揺れています。マストからマストに提灯をぶら下げた小さな祭礼船は、十数人の村人の氏子を乗せて、太鼓や横笛のお囃子にのって滑るように八坂神社の船着き場へと近づいてきます。
この村は三つの部落から出来ていますので、それぞれの部落から、それぞれの祭礼船が近づいてきます。静かな伊根の入江は、提灯の明かりとお囃子の音色が入り乱れて次第にクレッシェンドされていきます。私の近くに老婆がいます。「ゆうちゃん」という名の女の子の孫の手を引いています。老婆はふと私に、昔はこの村の者はほとんどが漁師で、このお祭りも毎年毎年本当に賑やかだったこと、今日では村の年老いたわずかの人達が本当の漁師で、後はみんな町へ仕事に行くようになってしまったこと、伊根の舟家の村が観光の街になってしまうとは自分の若い頃には考えもしなかったことなどを、いろいろと話してくれました。ふと出くわした小さな漁村の小さな夏祭りです。
私はその時ギリシアのミコノス島のことを想い出していました。テラスでコーヒーを楽しみながら夕日の沈むのをじっと眺めているほとんど動かない漁師の姿です。ここの人々はギリシア時代の昔からずっとこうした生活をして、いささかも変わらずにいるのではないかと感じた時に、私は深い感動に包まれたことを想い出していました。
次の朝、海岸線沿いの千枚田が美しい新井崎を通り、そして海抜二百メートルぐらいの高さを通る昔の街道を行きました。眼下にのろせ海岸を臨み、夏の若狭湾と日本海を眺めながら、津母トンネルにさしかかりました。人も車もほとんど通ることのない昔の街道です。何かこのトンネルをくぐり抜けると、神隠しにでもあうような風情がありました。トンネルをくぐり抜けしばらく行くと、原生林の豊かな断崖の先端に風変わりな建造物を発見しました。次第に近づくにつれ、何か物見櫓のような感じです。
門に近づくと、麦わら帽子にシャツ、作業ズボンをはいた少し痩せ気味の初老の男が近づいてきました。私が、「ここは京都府の何か公共の建物ですか?」と聞くと、初老の男は「いいや、これは私の家ですよ」。また、「何か建築でもされているのですか?」と聞くと、「そりゃ、私が建設をしているのですよ」と答えました。この初老の男は、この土地ではないどこか中部地方の訛りを感じる喋り方です。しばらく問答が続き、彼がこの土地を手に入れて、もう三十年になること、そして三十年間、この建設に一人で携わってきたこと、これから先も完成することなく営々と建設を続けること、今日はたまたま速達が来るというので、郵便配達人を表で待っている所へ私が偶然来たこと等々がわかったところで、その未完の住宅を拝見することになりました。岬の先端に建っている家へのアプローチは、実に計画的で、ドラマティックでした。海抜二百メートルぐらいの所に建つ物見櫓風の家は二本の残された大きな木の間から見え隠れして、その先の日本海の水平線を垂直に切断しています。鉄骨の階段を上がり、直接四階のリビングルームへ導かれた私は、そこからの眺めに息をのみました。エッケフェンスターの二枚のガラスは、一枚は日本海に面し、一枚は若狭湾に面して、コーキングによってとめられています。眼下には原生林の断崖の海岸線がずっとのろせ海岸まで続いているのが見えます。正面には日本海の長い長い水平線を眺めることができます。室内は工事中のため、たくさんの工事用木材で埋まっています。彼はここに一人で住み、一人で建設をし、年に一人ぐらいの訪問客があるほどで、この景色を抱きしめて生きているのでしょう。どこから来たのか、何をしているのか知る由もありません。建築は素人だと言っていましたが、三十年もこんなことに従事すれば、玄人でしょう。彼は、ありとあらゆることを学んで実践し体得をしているでしょう。かつては大々的に新聞社がやってきて、取材をしたそうです。新々の建築家より遥かに実践的で、遥かに多くの知識をもっているはずです。しかし、この初老の男性がいろいろの工夫と創案と、その成功例を説明してくれればくれるほど、私はこの男性に説明しがたい寂しさと哀れみを感じたのであります。他人事ですから余計なお世話ですが…。彼が抱きしめているこの美しい風景より、人々が重なり合いながら海の安全を願い、大漁を祈り、五穀豊穣を願うという、小さな漁村の小さな祭りのほうが美しく、愛おしく、立派に思えました。