水脈の会会報 「水脈 mio」掲載

宛名のない手紙(13)

猿飛佐助の意見

かつて、科学技術の進歩を想い、巨大建築物を実現する夢に満ちて生活をした日々が確かにありました。この国中がそんな日々で満たされていたような気がします。しかし、何かのたたりか罰にでもあたったのでしょう。今日、手にしたものは文化と文明の著しい衰弱です。つい先日、スペースシャトルコロンビアが宇宙から帰還中に空中分解事故を起こして、七人の乗組員全員が死亡しました。
私のまわりにいるごく普通の人々にこの事故の意味を聞いてみました。とくに私が心の底で悩んでいる問題に触れるような意見は聞くことができませんでした。ただ、どのように悩んでいるかということは、自分自身にもよく解っていません。いずれにせよ、事故原因の証明を繰り返しては悦に入り、二度と同じような事故を起こさないことを確信しつつ、人類の進歩のためいう御旗のもとに正当化され宇宙開発は続けられるでしょう。
しかしこの地球上ではパレスチナやアフガニスタンの各地で今もなおドンパチをしているのです。すぐお隣さんの北朝鮮では、金正日率いる軍部が集団発狂寸前のところまで来ています。米国では、スペースシャトルで亡くなった七人の冥福を祈りつつ、国民の結束を固め、イラクを攻撃しようという集団発狂があります。

一九七〇年に大阪で万博がありました。『人類の進歩と調和』というテーマで、業務としてこの万博に加担していました。この国はかつてない経済発展を確信しながら、これに遅れまいとする人々の集団発狂の場でした。今万博の跡地は、『人類の進歩と調和』という気高い志など、微塵もない単なるつまらぬ公園です。
日本にも原子力発電所ができ、国は安全、安全と宣伝しました。そして次から次へと事故が起きました。『人類の進歩と調和』という崇高な目標も手に入れることのできない人類に、どうして原子力発電の安全を声高に語れるのでしょうか。テロでも発生すればそれこそ一大事です。
コンピューターが世界を席捲しています。ディスプレーの光に照らされてキーボードをたたく会社員の顔は、少し青白く輝き知的にみえます。しかし、私にはハーメルンの笛吹きに導かれた幽霊のようにみえます。コンピューターは設計図も描けます。この設計図がやすやすと作成できることが恐ろしいのです。若い人々が血の通わない図面を作成していることが多いから、工事をとおして実体に変わる時、その実体にも血が通っていないのです。血の通わない建築が実現しているのです。古臭いかもしれませんが、昔、白井晟一は所員に畳の目を一つひとつ、マニュアルで描かせました。修養だそうです。

また、コンピューターは遠くの国、遠くの知らない人々ともたやすくコミュニケートできます。このコミュニケートの能力を高く評価する人々がいますが、そうとは思えません。コミュニケートするということは、時間をかけて相手を目の前において、その人のよってきた歴史的背景を理解しつつ、互いに解りあうということです。
今日のコンピューターにおけるコミュニケーションは、両者の背景や歴史をネグレクトし、相互間の距離さえもネグレクトし、言葉だけに頼るため、理解しているはずが、ほとんど誤解であることが多いのです。これは、大変危険なコミュニケーションと言わねばなりません。再開発事業は多くの超高層ビルを実現し、巨大なアトリウムを生みました。一昨年、9.11同時多発テロ事件は私たちに大きな衝撃を与えました。今、ニューヨークではその跡地にかつてのワールドトレードセンターよりも高いビルを建設しようとしています。これも一つの発狂現象でしょう。

人類は確かに進歩とか、発展のためにその能力を最大限に発揮しようとし、今日まで科学の進歩のためならば何もかも飛びついています。そしてあまりにも早く世界は進んで行きます。この進歩に遅れないために飛びついたらよい学問はたくさんあります。朝を重ね、夜を重ね、前後の見境なく、進歩のために身を捧げています。しかし、この進歩を逆戻りするための学問はないのでしょうか。
私の本心は、一つでもよいから逆戻りできる手掛かりを見つけたいと思っているのです。中国の北京に故宮博物館があります。現在、まだ何十万点という美術品が蔵の中で眠っています。始皇帝の墳墓も開かれることなく、まだ眠っています。「どうして開けないのですか」と館長に聞いてみたところ、「まだこれらを正しく理解する方法とその手段がそろっていないからです。開けるための多くの条件がそろうまで、私たちが開くことはないでしょう。次の世代かまた次の世代になるかは解りません」、と答えられました。なんと含蓄の深い言葉でしょう…。
つい先日、かの安吾先生が枕元に立たれ、“忍術”と文明について、次のようなエピソードを披露されました。猿飛佐助や悟空は空を走るが今日のジェット機には及ばない。佐助が印を結ぶと無数の怪獣が現れて敵に攻めかかるが、戦車やB-29のバクダンの破壊力には比すべくもない。ピカッと光ればもう何もなくなってしまう。現代の科学技術は、空想力が横溢していた時代の私たちの先輩も考えることのできなかったものの先に、突き抜けてしまっている…。
私の耳には猿飛佐助と霧隠才蔵の会話が聞こえてくるのである。『広島と長崎に黒い雨が降って何十万という人間が死んだよ』『ピカッと光ったら、みんな死んでたそうだ。どうだい、アニィの忍術でもできるかい』『できやしねぇや。オレのできないことをやるようじゃ、おっつけ人間は滅びるぜ』猿飛佐助の意見によると、破壊力が“忍術”の限界を越えた時が戦争をやめるときだそうだ。