水脈の会会報 「水脈 mio」掲載
描きたい街、魅力的な顔
私は近頃絵を描いています。昔のように建築の仕事があまり忙しくもないこと。そして少年の頃から絵を描きたいという願いをいつの日か叶えたいと考えていたこと。主にこの二つの理由によります。
今日は近くのデパートで《絵画の大蔵ざらえ》という催しがありましたので、眺めに行ってきました。
たくさんの本職といわれる画家の絵が所狭しと壁に吊るされていました。平日であることや、不景気のせいで館内にお客さんがまばらで、壁に吊るされた絵画の前を絵に何の興味もないかのようなデパートの店員があちらへふらふら、こちらへふらふら。私が絵を見ようと店員のほうへ進むと身をかわしながら少し会釈をして、またあちらへふらふら…。《絵画の大蔵ざらえ》すなわち大安売りというのは、通常時の価格と安売りの現在の価格が両方表示されていて、デパートが努力してどのくらい安くしているか表われておりとても楽しく眺めていました。どんなところでこのような価格がつけられているのか、そして安売価格はどのように計算されているのか、店員に質問してみたいと思いましたがばかばかしいから今日は止めました。
一方そんなときに、私の心の中をふと過ぎ去った映像がありました。それは、《絵画の大蔵ざらえ》の絵が買われて色々な人々の家の居間やオフィスの壁に吊るされ、なんの新鮮さをも発揮することなくただ絵が壁にあるだけという?日本人の平均的な生活空間の色々な様子?が壊れた走馬灯のようにカラカラと音をたてて頭の中で回っていました。そして私たちの家をすぐに出た外部の空間も質的にはまったくこれと同じものです。
そのままもう少し出た都市の空間もそんなに変わりはなく私の頭の中でカラカラと回っています。レガートのなめらかさはなくすべてがスタッカートのよせあつめで、一つひとつの音がどこから来たのかまったくわからないというありさまです。貴方の街もそうですか。貴方の住んでいる街はヘンリー四世がつくり、ターナーは好んで貴方の家のすぐ先の谷を描き、マネやモネもつい先日その谷でセーヌにかかる橋や川遊びを描いていましたね、今では橋はかけかえてありますが昔のままです。ドビッシーは貴方の家のすぐ先で生まれましたね、絵も音楽も街も生活も、季節でさえレガートで結ばれているようです。リラの花の咲く頃は貴方の街で過ごしたいと考えています。貴方の街でもこの冬は二〇世紀から二一世紀へ静かに移っていきましたか。
去年はミレニアムといって少し街はさわいでいましたね。私の国ではテレビも街の書店のはなさきにも『二一世紀のキーワード』等という言葉が氾濫しています。私はこのキーワードという言葉がとっても嫌いです。私は物事を一つの言葉でくくろうという精神が嫌いなのです。
先日テレビでテロリズムに関してニューヨーク、カイロ、東京と学生による三元中継の討論会が放送されていました。ニューヨークの青年が「民主主義というのはアメリカが最も進んでいてこのシステムを世界の人々が学んで習わなければならない」と主張していたのです。この青年のレベルの低さに驚きを禁じえませんでした。その青年の表情はいきいきとして、顔にはなんの翳りもありません。唯一の覇権国であるアメリカのこの青年は物事を客観的に見るということができなくなっているのではないでしょうか。私は背筋が凍りつくような想いをしました。この青年もきっとキーワード的発想の教育を受けたのではないでしょうか。
私は二〇世紀を半分以上生きて来たのにいまだにどのような時代であったか理解できないでいます。二一世紀のキーワードなんてとんでもない話です。世の中は先へ先へ話を進めて操るのが好きなようですが、私にはあまり興味がありません。私にはまだ頭の中でカラカラと音を立てて回る走馬灯の映像をなんとか少しでも良いものにしたいという希望を持っているからです。私の住んでいる街は貴方の街のように絵に描きたいというような街ではありません。絵にもならない街なのです。最近絵を描くようになって感じたことなのですが、正義の味方であるアメリカのブッシュ大統領と、悪の権化ビン・ラディンの顔を特にテレビで見るようになりました。私はなんの理由もなく素直にビン・ラディンのほうは絵になるけれども、ブッシュ大統領のほうは描いてもあまり面白くないなと考えています。このことは描きたくない街と描きたい街の話と呼応しているのではないかと考えています。これは単なる私から見たエキゾチシズムの問題ではありません。
街の風景も人の顔も説明しがたく人を引き付けて離さないなにかを持っていることがあります。きっとそこには私が今まで知らなかった、そして、私には説明することのできない別の”正義”なるものがひそんでいるのではないだろうか?こんなふうに近頃なにか矛盾に満ちたとりとめもないことを考えています。このへんで少し休んでキャンバスに向かうことにします。