水脈の会会報 「水脈 mio」掲載

宛名のない手紙(12)

マチスピカソ

秋、パリ、シャンゼリゼ通り、枯葉、お決まりの景色です。その向こうにグランパレが佇んでいます。今そこで、”マチスピカソ”という展覧会が開催されています。マチスとピカソはご存知のとおりモダンアートの双子の巨人であります。この展覧会は、ロンドンのテートギャラリーで始まりました。今、パリで開催され、来年にはニューヨークへ移動します。パリでは、大変人気のある展覧会です。毎日、長蛇の列がグランパレの外の公園にまで広がっています。

この展覧会の特色はマチスとピカソ展ではなく、”マチスピカソ”という展覧会なのであります。すなわち、マチスピカソという一人の画家がいたと考えてください。そしてその画家の個展が開かれているというわけです。このマチスピカソという画家はモダンアートを進め、あらゆる実験を試みて、本当にすべてのことを実現してしまいました。あとにはもう何も残っていないという感じです。まるで、建築家のコルビュジェが現代建築のすべての表現をやりつくしてしまったというふうな内容です。しかし私は、どんなに小さなスケッチでも、これはピカソ、これはマチスというようにすぐに分類できるぐらい、二人の個性の違いを知っています。会場内でもすぐに二人を分類してしまい、それらのスケッチや絵にまつわるエピソードをすぐに思い出してしまうのです。ですからどうしても私には、マチスとピカソ展ということになってしまいました。マチスとピカソの書物はたくさん出版されています。二人の関係や面白いエピソードもたくさん語られています。しかし、芸術論に関して語られている書物はピカソのほうがマチスよりはるかに多いのです。書店に行けば一目瞭然です。これはたぶんピカソの絵はマチス以上に論理的で構築的であり、そして実験された色々の要素がはっきりと画面に残されているために、評論家には読み取りやすく、説明しやすいからだと考えています。

子供の頃、母に連れられて日展や院展を毎回観に行きました。ある日、ピカソの展覧会へ行ったのですが、これには心から感動を覚えました。こんな絵のどこが良いのかと興味を示さない人もたくさんいましたが、ピカソの絵をみて、初めて画家というものは素晴らしいと何となく羨ましく感じたことを思い出します。
その頃マチスだけの展覧会にでくわす機会はなく、何かの展覧会に混じってマチスの絵が出てきても、ピカソの絵のように心を突き動かされることはありませんでした。そんな頃、主に聴いていた音楽は、バルトークやハチャトリアンやストラビンスキーの曲で、ピカソの絵と同じような感動を覚えていました。

それから何十年も経って、ある日マチスの展覧会を観に行きました。そして、なんと素晴らしい画家なのだろうとマチスのことを考えるようになりました。それ以来、マチスの虜になり、マチスの絵を探しては美術館へ行くようになったのです。それと同時にピカソの絵については、以前ほど観たいという想いが薄れていきました。この頃にはバッハやハイドン、モーツァルトやベートーベンも好んで聴くようになっていました。
人間の好み等というものは、年齢と共に変化するものだなぁと近頃感じています。神代雄一郎氏が生前、ある会合で、最近ようやく靴下よりも足袋のほうが体にぴったりと合って心地良い、と話しておられました。人というものは、体や頭の中や心の中が、年齢と共に変化していくということを感じさせる話でした。それも自分自身の持っている原形へ向けて、変化していくのだと感じられたのです。私は若い頃ピカソが好きでしたが、次第にマチスのほうが心にぴったりとして、心地良い心の衣となったのです。
絵に描かれているすべてのもの?人間やテーブルや椅子や衣類や空や大地や草花や金魚鉢や首飾りに至るまで、温かい血が流れているような気がします。画面に現れたマチスの暖かい慈しみに陶酔するばかりです。そしてマチスが試みた絵画におけるたくさんの実験は遠くへ押しやられていて、説明を聞かされるまでは解らないのです。一方、若い頃衝撃を受けたピカソの絵画たちは、その絵画やスケッチの一つ一つの中にピカソがいて絵画とはこのようなものであるという鋭い眼差しでこちらをにらみ付けているようです。

年をとると、そんな感じがとてもしんどく思えてなりません。展覧会を観終えてグランパレの外に出ました。シャンゼリゼ通りの公園は落葉が敷き詰められており、街路樹は風に揺れながらその大きな葉っぱをサラサラと散らしていました。公園を歩きながら、ふと建築についても同じようなことが言えるのではないかと考えていました。セーヌ川沿いには、たくさんの現代建築が立ち並んでいます。それぞれの現代建築は、ある思想や方法論によって現代の美を表現しているのだと思います。そして建築家がそれぞれの建物のそばにいて、これこそが現代思想と現代技術に基づく偉大なる成果だと叫んでいるようで、そのことが訪れる私に疲れを感じさせるのです。
心安らぐマチスのような現代建築はどこにあるのでしょうか。このマチスとピカソというモダンアートの双子の巨人は互いに切磋琢磨しながら芸術を切り拓いてきたわけですが、ピカソは『美を求めて突き進み、突き進んでやっとのことで至ったその先に、いつもマチスがいた』と語っています。十歳年下ではありますが、不滅のピカソをして、このように言わしめたマチスは人間として、本当に大きいのだと思います。