水脈の会会報 「水脈 mio」掲載

宛名のない手紙(14)

『あんさん、この頃なんも、おもしろいことおまへんなぁ…』

川崎幽玄という名の指物師がおりました。私の友人であります。奈良の大和郡山に住んでいましたが、数年前に亡くなりました。彼は、少年時代、父の指導のもとで指物を作る練習をしていました。その父は、義太夫(浄瑠璃)が好きでした。仕事場の表座敷で、先生に義太夫を習っていました。奥の仕事場では、川崎少年は繰り返し、繰り返し練習する先生と父の義太夫語りを聞きながら、指物の仕事に励んでいました。
ある日のことです。父は川崎少年に座敷きへ来るようにと言いました。そして、『君もそろそろこの先生について義太夫でも習ってみてはどうか』川崎少年は『はい』と答えました。その場で川崎少年は、先生の義太夫語りを鸚鵡返しするように命ぜられました。川崎少年は義太夫を語りはじめました。鸚鵡返しどころの騒ぎではありません。先生も父もその声に聞き惚れていました。じつは、表座敷から聞こえてくる義太夫が好きで、いつしか空んじてしまい、彼は親に隠れて毎晩、押入の中で口遊んでいたそうです。
やがて川崎少年は指物師ではなく義太夫語りの道を歩み始めていました。そしてまさに太夫を襲名せんとする時、すでにその体は結核に侵されていたのです。やけっぱちになった彼は、その道を捨て、ありとあらゆる道楽に身をまかしていました。奥様は金に困り古着屋までしたそうです。そして気が付くと、自分の着物まで売ってしまっていました。
この家には二人の息子と、一人の娘がおりました。長男は、浄瑠璃の三味線が上手で、声も大変良かったそうです。彼は、長男を連れて東京にやってきました。彼が、義太夫語りだった頃、浄瑠璃三味線の大家がおりました。その大家に長男の三味線を聞かせようと考えたからです。
ところが、大家の門を叩くと、大勢の弟子や取巻きたちが出てきてなかなか大家に取り次いでくれません。彼は何日も何日も待ちました。(色々な流派の大家というものは、弟子や取巻きたちに囲まれて自由がきかず、大変なものですね)。とうとう埒があかず、ある日直談判とあいなりました。大家は、長男の三味線に聞き惚れました。そして長男は立派な義太夫の三味線を奏でる人になりました。しかし、すぐに亡くなってしまいました。川崎幽玄は長男のことをあまり多くは語りません。きっと寂しさが込み上げてくるのでしょう。
次男は優れた茶道具を創る作家です。立派な作品集が出版されています。川崎幽玄は、ある日息子の作品集を私の前に置いて次のように言いました。『あんさん、こんな程度の仕事でこんな立派な作品集が出版されて、どない思いなはる。恥ずかしいことでんなぁ…』『わてら子供の頃、こんなもんなんぼでも作りましたがな。この頃は息子のような仕事を作家の作品やといいなはる。けったいなことですなぁ…』
ある時、大阪城大手門の控柱の継手がどのようになっているかが解らず、たくさんの学者たちの研究対象になりました。大工の棟梁の西岡(常一)さんも呼ばれました。いくら考えても解りませんでした。しばらくして、ある人が一度大和郡山の川崎さんに聞いてはどうかと言い出しました。川崎幽玄は大阪城に行きました。柱を見るなり『明日模型をもってまいります』と言って引き下がりました。学者や研究者たちは、びっくりしたそうです。一人の指物師の手の中にその技術が継承されていたからです。(お偉方が日々ひねくりまわす学問とは一体何なんでしょうね)。ちなみに川崎幽玄の父は春日大社の筆頭大工でありました。
川崎幽玄が春日大社の修理を命ぜられた時、文化庁からたくさんの役人がきて、色々とやり方について幽玄に指示したそうです。『あんさん、あれしたらあかん、これしたらあかんゆうて、何したら、何にもできまへんで…』と、もらしておりました。川崎幽玄は、人間国宝になるようにと当時の文部省にすすめられました。彼は幾度もこれを断りました。
彼いわく、『あんさん、人間国宝なんかになったら不自由になって、何にも面白いことおまへんで…』壊れかけた眼鏡をかけて、お茶を立てながらにこやかに語っておりました。私がお茶をいただくと、その後になぜか奥様は、一人娘の嫁ぎ先のドイツから送られてきたワインを持ち出して、『あんさん、いっぺんこれ飲んでみなはれ。ほんまにおいしおまっせ』『わてなぁ、この人になぁ…(主人のこと)なんで一生懸命つかえなあかんねんとおもてなぁ…やけくそで酒飲んでみたらえらい好きになりましたんですわ』なぜお茶の後にワインを飲むのかわかりませんが、幽玄は妻の語りを聞きながら、にこやかにワイングラスをかたむけておりました。
春日大社に幽玄のかまがかかる時、いつも全国からたくさんの茶人が集まりました。東京の帝国ホテルには幽玄の茶席がありました。流派や派閥をつくらぬ自由な茶人でしたから人々に親しまれたのでしょう。
海をじっと見つめながら繰り返す波の波動に身からの鼓動を合わせながら、『あんさん…。潮が満ちたり、潮が干いたり。ほんまに不思議でんなぁ…』再びじっと海を見つめて、静かにたたずんでいた川崎幽玄の姿を私は生涯忘れることはないでしょう。