水脈の会会報 「水脈 mio」掲載

宛名のない手紙(17)

なくしてはならないもの

南の島。まっすぐに白い砂浜が続いている。静かな青緑の海は、キラキラと朝の陽射しを受けてダイヤモンドのように輝いている。その水平線は、コバルトブルーの空へと繋がっている。
「スミマセン!シャシントッテクダサイ!」突然、若々しい声が響いた。カメラをぶらさげて、五、六人の十代の少女たちが波打際の浅瀬で、一列に肩を組みながらこちらを向いてさけんでいる。私の友人はカメラを受けとりながら、「何処からきたの?」と尋ねた。「ハーアー?ハハハハハハー!」明るい笑顔が返ってきた。
時代に合ったカラフルな衣装。キラキラ輝く眼差しは強い陽射しとからみあいながら、私たちのほうへ水晶の粉をまきちらしたように跳ね返ってきた。友人は再び聞いた。「何処の出身ですか?」「ワタシタチー、タイワンカラキマシタ!」友人も私も心の中で「エッ!」と叫びました。友人は、「イヤー上手、上手!トッテモ日本語ガジョウズデスネー」と言いながらシャッターを切ると、少女たちは、「マダスコシダケシカシャベレマセン!ハハハハハハ!アリガトウ!」と明るく笑いながら去って行きました。
私たちはしばらく世間話も止めて、強い朝の陽射しを感じながら再び海岸を歩き始めました。私は彼女たちの目の輝きの中に希望や未来、幸せが濁ることなく存在していると事実感じたし、感じたかった。この子供たちは、かつて日本が日清戦争以降の敗戦まで占領していた国の人々です。今、私は日本から遠く離れた南洋の島にいます。この輝くばかりの太陽の下で太平洋戦争中、日米が激しく交戦をしました。両軍のたくさんの兵士たちはこの海のむこうの祖国を、家族を、友人を想いながら無念をいだいて死んでいきました。

私のいるこの場所のすぐむこうには、最新の近代兵器を保有する米国の陸海空軍がいつでもどこへでも出動できる体制で息をひそめています。終戦後、もう六十年もたとうとしている今、私たちの国はイラクに出兵をします。立派な政治家は大義があるから正しいといい、ある者は大義がないから出兵に反対だという。大義があろうとなかろうと、出兵に反対という理論はないものか。
かつて私のところに、中国の青海省から二人の青年がやって来ました。彼らは上海に到着して初めて海をみたそうです。彼らは三十歳になっていました。そのときの彼らの目が台湾の少女たちの眼差しのように輝いていたのを思い出します。私が心から信じていることは、こんな輝きだけです。まったく位相の異なる想いが頭の中を駆け巡り混乱をきたしていますが、感じた断片を書きとめています。

ところで話は飛びますが、人間は今日までずっと毎年穀物を育て収穫をして、それを食べて生きてきました。人々にとってこれは信じられないくらいの感動であり、驚異に値するものです。今日、穀物はスーパーマーケットの棚にあるものと考えられています。
この穀物には感動を覚えません。穀物を前者のように捉えていた時代は、それに伴ってたくさんの儀式が生まれ、たくさんの行事が執り行われました。人々は喜び悲しみ、真剣になりました。そのような中から生まれる思想は信じることができます。後者の穀物の主要な課題はその価格だけです。そこに生まれる思想を私は信ずることができません。
車の装備にカーナビゲーションというものがあります。行き先を教えてくれるので、宅配の人々にはとても便利です。普通の生活者には必要ありません。こんな小さな日本の道路くらい覚えればよい。覚えられなければ、道行く人に尋ねればよい。そのために、教育は道の尋ね方を教えなければなりません。そして道の教え方を教えなければなりません。またお礼の言い方を教えなければなりません。
大阪では、「スミマセン!南船場一丁目、ドナイイッタラヨロシオマンネン?」「マッスグイキハッテ未吉橋渡ラント、左ヘ行キハッタラヨロシイネン!」「オオキニ。スンマセン!」これで終わりですが、街になんか血が通っています。
この会話には沢山の思想と文化を感じます。ほとんどの人が携帯電話を持っています。大変便利です。しかし私から留守をすることを取り去りました。昔、小説で読んだことがあります。『○○先生を訪ねるとお留守でした。たぶん近所の碁会所にでも出掛けておられるのだろうと思い帰りました』なんとも思いやりのある訪問者ではありませんか。人に対してこんなにもデリカシーのある人がいたのです。
このような人の思想を聞いてみたいと思います。本当に感じること、信じれること、人の血がまこと通っていること、こんなことが基本にあって生まれてくる思想でなければ私たちを幸福にすることはできません。さぁ、携帯電話を捨てて、ナビゲーションを捨てて、できればお米を自分で育てて、霧隠の才蔵の所へ行って忍術を習おう。そして戦争をしなくてよい理論を学ぼう。